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都心部に用件があって代々木上原駅09.01.07 都心部に用件があって代々木上原駅にいました。ここは、小田急線とメトロ千代田線の相互乗り入れ駅です。小田急線は外側を走り、メトロは内側に待機していました。小田急線は急行の停車駅ですが、快速特急は止まりせん。女性専用車両は、メトロではほほ終日指定表示でした。記:吉田つとむ |
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The 1th World Championship of HumanBANBA 『Trial Heats』 『世界大会 予選』 撮影日:2008年10月19日 十勝管内19市町村対抗『人間ばん馬とかち大会』のバージョンアップ版としての世界大会予選レース5組です。 スタートゲートから女性騎手が第二障害手前に待機する橇に向かって走り、橇に飛び乗るやゴールに向かって邁進するという、今までに無いレース模様に新鮮さを覚えます。優勝賞金100万円というインパクトもさることながら、やはり最初の予想通り「置戸組」の活躍が目立ちました。 [世界大会橇重量] 予選 180キロ (公式ページより) 決勝 210キロ (公式ページより) [世界大会第二障害高低差] 1.7m [世界大会予選レース馬場水分] 決勝 2.1% (公式ページより) 予選 2.4% (公式ページより) 2008年10月18日 『第二回とかち大会』 http://jp.youtube.com/watch?v=MjRZqFz0dnY 2007年11月11日 『第一回とかち大会』 http://jp.youtube.com/watch?v=ua8Sditkj9o _ |
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Koreans who smuggled several hundred prostitutes into US and Koreans who smuggled several hundred prostitutes into US and Canada were arrested アメリカとカナダに数百人の売春婦を密入国させた韓国人が逮捕 米連邦検察は主に20~30代女性を含んだ韓国人数百人をカナダと米東部国境地域を通じて米国に密入国させた疑いで49歳のチャン某氏夫婦を含んだ韓国人6人を起訴したと明らかにしました。 この中でチャン氏夫婦など4人はカナダで逮捕されて、28歳のコ某氏は韓国で逮捕され米国送還を待っていて、46歳のトン某氏は手配中です。 米検察は彼らが密入国斡旋料の名目で1人当り1万ドルずつを貰って、去る2004年7月から昨年末までひと月に多くて20余人ずつを米国に密入国させた疑いを受けていると明らかにしました。 検察はチャン氏など密入国組織員らがカナダ・トロント空港で韓国人たちに会って歩いて国境を渡らせた後、米国側国境に待機させておいた車両に乗せて密入国させる手法を使ったと明らかにしました。 検察は彼ら密入国組織員らが最近韓国警察に摘発された遠征性売買斡旋組織であるミンシャジャン派と連携して韓国人たちを米国に密入国させて来たと明らかにしました。 日本は戦時中朝鮮人を無理矢理連れ去って性奴隷にしたニダ! ↓ 朝鮮人はわざわざアメリカへ密入国してまで売春したがる民族ですよ? S.Korean lawmaker says 30,000 Korean women sell sex in Japan http://english.people.com.cn/200703/29/eng20070329_361903.html コリアタイムズ(韓国語)韓人女性など100人雇用売春組職摘発 http://www.koreatimes.com/article/articleview.asp?id=422426 在米韓国人元警官が売春組織に加担=NYタイムズ紙 http://www.chosunonline.com/article/20071229000039 http://www.nytimes.com/2007/12/28/nyregion/28plea.html?_r=1&oref=slogin 韓国系売春組織に有罪判決、ニューヨーク http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2310109/2337712 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 前編 part1 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 前編 part2 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 後編 part1 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 前編 part4 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 後編 part3 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 前編 part5 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |
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なぜ日本人は死刑が好きなのか 前編 part7 マル激→http://www.videonews.com/ 第374回(2008年05月31日) 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。) しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。 |